これから菫も咲くでしょう

宝塚と、もろもろと

宙組宝塚大劇場公演「エリザベート」を観ました

 それは2016年7月24日11時公演のことです。

 これをしっかり書き留めておかねば!ならぬと!!そう思ったんですよ私は!!

 そうしてブログを開設しました。よろしくお願いします。

 

 ともあれ、宙組エリザ、私大好きです。全部の歯車がきっかりと嵌って、エリザベートという大掛かりな仕掛けのつまった作品そのものを見ている、そう感じました。「あ、エリザって、すごい!すごい作品なんだ!」となぜか納得しながら見ていたのですが、物語が素直に胸に入ってくる、そんなキャストの力だったと思うのです。

 私が何に納得したのかと考えてみますと、トート閣下とフランツさんがシシィへ向けて歌う歌詞なのです。朝夏さんトートはシシィを「ただの少女のはずなのに」と歌い、真風さんフランツは「心優しいエリザベート」と歌い上げるわけです。そういえばこの場面二人とも振られてるな…まぁいいや。ともあれ、今までこの部分で「いやいや」ってちょっと思っていたのです、私。シシィの個の力が強くて、それぞれが幻を見ているような、不吉な感じが舞台のエッセンスだったのかもと思うのですが。

 今回の実咲さんのシシィは、トートに出会ったときは「ただの少女」で、フランツと恋に落ちたのも「心優しい」女の子だったと、そんな風に思えるシシィだったのです。それが私にはすごく新鮮で、あぁ、トートもフランツもシシィの本質を見ていた、と思ったのです。トートはフランツを選んだシシィに「あの男は身代わりだ」と告げますが、その場面も妙に説得力があって。シシィにとってのトートは初めは「助けてくれた人」なのだよな。そしてフランツも真風さんのあったかい感じがにじみ出ている「優しい人」で。この三人の三角関係になってしまうことに、ものすごく納得できたのです。

 実咲さんのシシィが大好きです。家族からの愛を受けて、のびのびと育った少女が、恋をして、恋だけでは生きていけなくなり、皇后として生きることを決意する、までが一幕なわけですけど、フランツへの恋がね、色あせてしまうのがとても悲しい。そういえばシシィの父であるマックスを演じる悠真さんが「あの男ではだめだ」と歌う場面、あれは「どうしてあの男に恋をしてしまったんだ」という嘆きに聞こえて、とっても素敵でした。シシィは愛されていたし、フランツのことも愛していた証のようで。恋が色あせて、死を思い、それでも生きてゆくことを決めた「私だけに」のしなやかな美しさ。実咲さんのシシィは我が強くは見えなかった。ただ、誰に否定されても、私だけは私の人生を愛そうという決意の歌のように思えて、泣けた。

 シシィは美貌で権力を手に入れ、自由になった、はずなのに。権力は新たな重枷だった。二幕はそういうお話なのかなぁと。星吹さんのヴィンディッシュ嬢が素晴らしかったのですけど、あの時のシシィが、とても優しくて。あの場面は今まで自分の名前を騙られたシシィの怒りみたいなものを少し感じていたのですけど、今回のシシィからは「貴女はエリザベートなんて名を名乗る必要はないのだ」という気持ちを感じたのです。貴女はもう、自分という国の皇帝なのだから、と。だからこそフランツの国の皇后であるシシィのやるせなさが胸に迫りました。扇を交換した後、星吹さんが無邪気に笑って走り去っていく、その仕草が本当に鳥のようで、シシィの羨望が伝わってきたように思いました。この場面すごく好きです。

 思ったのですが、フランツがシシィをただ手の中の小鳥のように守るのではなくて、「一緒に戦ってくれ」と一言言ってくれたら、シシィはずっとフランツのそばにいたのではないかなぁ。そんなことを思わせてくれるシシィだったのです。一言、あなたが、そのままの私を必要としてくれたら。でもそのタイミングは失われてしまった。「夜のボート」の場面がとても好きなのですけど、美しくて、だからこそ切なくて。実咲さんと真風さんの二人の声がすごく合っていて、なのに全部がすれ違ってる。

 真風さんのフランツが本当にあたたかくて、誠実で、だからこそタイミングだけがずれていく感じがすごく辛かったです…。あと、純矢さんゾフィーとのやり取りが!フランツは母親のこともやっぱり愛していたのだろうな、としみじみ思いました。だから強く出れない、のではなくて、「強い国のために正しい行い」を止められないのではないかな。家族に、本当は優しくしたかったし、優しくされたかった人なのだろうな、と思うと、運命は彼になんて優しくなかったんだろう。

 でもトート閣下が運命を全部握っていたか、というとそうでもないような気がします。朝夏さんのトートは、シシィに恋をして、そしてその恋の理不尽さに直面していたように思うのです。彼は「死」以外になれない。それはあの瑞々しいシシィからは何て離れているんだろうと、他でもないトートこそが知っているように思えたのです。だから待った。彼女が彼女という生を全うするまで。

 あ、でもトート閣下が全部受け身だったかといえば全然そんなことなくて、ルドルフとのやり取り、子供の頃も青年の時もそれはもうたまりませんでした。少年ルドルフの星風さん、ほんとに、ほんっとうに、可愛い!!「僕を一人にしないで」と歌い、トートに触れられると、とっても嬉しそうに笑うのが寂しさの証のようで胸が痛かったです。そのあと、重鎮たちをからかって去っていくの、まさに少女時代のシシィを彷彿とさせて、あ、鏡がこんなところにも、と改めてハッとしました。

 少年ルドルフが母親に怒りを示して少年時代が終わり、青年になったルドルフが国の現状に怒りを覚えているのもすごく自然だったと思うのです。そして桜木さんルドルフは、フランツとシシィの二人の気質をまさに分け合っていて、だからこその悲劇だったと。青年だったフランツは「名君と呼ばれたい」と願い、冷静に政治を行っていたわけですけど、国に不幸が襲うのを「我慢できない」ルドルフはフランツの息子でしかなかったと思うのです。でもフランツはルドルフに「急進派の手先」と言うのですよね。この時の桜木さんのスッと体温が下がる感じがとても好きです。今回のエリザ、さすがの宙組さんでコーラスがすごくきれいに歌詞も聞こえるので、シシィの取り巻き(というと言葉が悪いけど)には急進派もいるってゾフィーたちの作戦会議前に歌われてたのも覚えていたのです。だったらシシィの子育てにその考え方が反映されてしまっても仕方ないかと思ったのですよね。でもフランツは知らない。父親は子育てに興味がなかったのか手出しができなかったかは分かりませんが、知らない、という断絶。この人には自分が何を言っても無駄だ、というひんやりとした諦めが、加速度的に絶望になっていく。そんな風に思えて。

 ルドルフが出てくる場面はどこも好きで、ハンガリー国王を夢見ちゃったところは「後ろ!!後ろーーーー!!!」って必死でしたし、絶望に向かっていく過程も圧倒的だったのですが、特に好きなのが革命が失敗し、憲兵が踏み込んできた場面でエルマーたちに「逃げろ!」という場面です。あの場面のルドルフはまさに王だったと、そう思ったんです。あの一瞬、あの一瞬が王冠よりも光って見えた。

 でもルドルフがそんな風に王であること、フランツの息子であることがシシィには向き合うことが辛いことだったのかなと思うので、そのままならなさにグラグラする。もしもシシィだけの子供だったら、フランツだけの子供であったなら、ルドルフは死なずに済んだんじゃなかろうかと。でもルドルフは紛れもなく二人の、息子だった。この三人が完全に家族でしかなかったからこその、悲劇。

 この後でトートの言う「死は逃げ場ではない」という言葉が不思議だなぁと思っていたのですが、今回はトートのシシィへの恋心がはっきりしていたので、この言葉もすんなり受け止められたのですよね。ホントに、言葉が一つ一つ納得できるお芝居だったなぁ。

 納得できるといえば。私は愛月さんのルキーニ大好きです。登場の狂気から一転して軽妙で洒脱な、愛すべき語り部として物語を進め、そうして最後にドミノがひっくり返ったように、狂う。その一連の流れがとても好きだなぁと。なんか、語り部であるルキーニの周りに人が集まるのは必然のように思ったのですよね。知らない人は思わず近づきたくなってしまうような。あの海千山千なマダムヴォルフすらもキスをしたくなるような、色男。そのひんやりとした狂気が、ナイフによって吹き出してしまうのもすごくいいなと。愛月さんのルキーニが指を少ししか刺さないのは、敬愛するトート閣下からの預かり物を、自分の血で怪我しては申し訳ないと思ったからではないかな。そういう、理由のある、狂い方。

 他のキャストも全部好きで、てゆか全部はまり役だと私は思いますよ…!うう、もっと、もっと、観たい!!あのですね、私、フィナーレめちゃくちゃ格好いいと思うんです。特にね、男役群舞のとこです。私は桜木さんが階段を下りてくるところをガン見してまして、もうすっごいすっごい格好良くって、

 そのあとあんまり覚えてない。

 この!!!興奮しすぎるとオーバーヒートする脳みそが!!憎い!!!!うう、もっと見たい。暗記するほど観たいです…!!あとコーラスも素敵で!あの声をずっと浴びていたいんです!! 

 興奮しましたが、それぐらい今回の宙組さんのエリザベートが大好きってことで。すごくスタンダードで新鮮っていう不思議な感覚です。なんとなく、エリザベートって「自分自身を取り戻す」話なのかなって思っていたのですが。でも今回の宙組エリザは「人は自分としてしか生きられない」ということを思ったのです。どんなにこの道が辛くても、逃げ出したくても、自分にしかなれない。貴方の目は持てない。そんな悲しみが見終わってからひたひたと胸を打ち続けていて。

 ただ運命が、どんな嵐を連れてきたとしても、自分として生き抜いた女性の最後に死が、祝福として与えられたのかな、とそんなふうに思えたエリザベートでした。あと数回は観れるので、大事に、楽しみにしたいと思います。