これから菫も咲くでしょう

宝塚と、もろもろと

2016宙エリザ全パターン観ました

 役替わりのA,B,Cパターンを観ることができたので、それを踏まえた感想を残しておきたくて。どのパターンもそれぞれに違いがあって、その違いがどれも納得できて、とっても素敵でした。

 ただ、あの、私は桜木さんのファンなので、贔屓目フィルターがかかってしまうのはね、もうね、仕方ない!!!!!好きです!!!!すごいよかったよ!!!!!!でもルドルフが素敵だったのはもちろんですが、エルマーもシュテファンもとても良かったので、私、私、選べない!!!!し、澄輝さんも蒼羽さんも本当に素晴らしかった!ので、全部語るよ!!!!ただ、結局それぞれ一度しか見れなかったし、思い込みも存分に含まれているはずなので、その点ご了承ください。

 

 さてはて、ルドルフについてですが、思ったのはポスターでの第一印象とそんなにブレがなかったな、ということでした。ポスターを見た時、澄輝さん(あっきーさん)のルドルフには高貴さ、蒼羽さん(りくくん)のルドルフには少年性を、そして桜木さん(ずんちゃん)のルドルフには凛々しさを強く感じて、それぞれその通りだったなぁと。

 ただ、あっきーさんのルドルフは大人びた、まさにハプスブルクの貴公子でしかない佇まいだったのですけれども、「闇が広がる」での怯えた表情を見ているうちに「ああ、ダメだよ、その人にあんまり重荷を乗せちゃだめだよ。子供なんだよ」と思えて心臓がひやりとしました。子供だった。星風まどかちゃんの少年ルドルフが三人の役替わりでニュアンスの異なるお芝居をしていたのがさすがだったのですが、あっきーさんのルドルフの時は少しおとなしめというか、繊細で、大人びた印象の少年だったと思ったのです。その時の印象の少年が中にまだ潜んでいる、大人になり切れない、守られるべき心を持ったまま大人になった、そういう印象のルドルフでした。

 あっきーさんもですが、りくくんのルドルフが特に、ママがそばにいてあげたら違ったのではないかなぁと思ったのです。りくくんルドルフの「少年っぽさ」はあっきーさんのルドルフとはまた違っていて、まっすぐに、親の愛を求めていたルドルフだったなぁと。何となく、あっきーさんとりくくんのルドルフはママの愛が自分にあることを疑っていない感じがしました。愛されている、のに、どうして傍にいてくれないの、どうしてわかってくれないの?その疑いからひびが入っていくような。

 ずんちゃんのルドルフは、誰にも救えない、その感じがすさまじく好みでした…。なんとなく、父親からも母親からも「愛されてはいないだろう」という諦めがまずあったように感じたのです。それでも父の、国の役に立ちたくて、母親のことだって、待ってた。けれど結局、生きがいだった皇位継承権は父親から取り上げられ、最後に縋りついた母親への愛情からも手を離される。それなら、自分の、生きていく価値は何だろう、とストンと糸が切れたように終わりが始まる。

 でもどのパターンのルドルフに対しても、実咲さん(みりおん)のシシィは愛情を持っていたと思うんですよね。ただどのルドルフにとってもタイミングが良くなかったんだろうなと思えて、それってすごいことだなぁと。

 あっきーさんのルドルフは、本当に真風さんのフランツによく似ていて、だからこそ自分が旅に出るきっかけとなった裏切りのことを彷彿とさせただろうと思うし、何より最後通告のときのフランツを思い出したんじゃないかなと。みりおんのシシィは本当にフランツに恋をしていて、だからこそあの場面で彼を突き放さなくては息もできそうになかった自分を、責めたこともあっただろうと、思うのです。扉のシーンはでも流されない、二度と彼に流されたりしない、という決意の場面だったように思うのですよね。みりおんのシシィは、結婚当初からその時まで、結構フランツの言うことを聞いていたんじゃないかと思うのです。長女をゾフィーに奪われたあとも兄弟たちは生まれてるわけで、扉を、開けていたんだと思うのですよ。

 でも何も変わらない。夫も、家も、変わらない!二度と流されたり、しない!その決意は裏切られたからこそ、もう変えられないものだったんじゃないかと思うのです。

 自由を求めて旅を続けても、帰る場所なんて一つしかないという諦めというか、悲哀を背負ったシシィが、フランツによく似た息子に縋りつかれたときの気持ちを思うと、責められない、と思ってしまうんですよ。

 そしてりくくんのルドルフは、魂の色がシシィによく似たルドルフだなって思ったのです。だから宮廷はこの子には、息が詰まるだろうなと自然に納得できる。それでも彼は義務を果たそうとして、敗れた。彼を目にしたとき、シシィはハンガリーでの自分を思い出したんじゃないかと。あの時の誇らしい気持ちを。でもそれは、幻だった。結局あの時手に入れたものが、自分に何をもたらしたのか。それを思うと虚しくて、目を、逸らしたくなるのもやっぱり責められない。

 「ステージドア」で演出の小柳先生がおっしゃっていましたが、みりおんのシシィは「あぁ、そうだよね」って思わせてくれるシシィだなぁと。心の動きが細やかで、納得してしまう。

 あっきーさんがフランツ、りくくんがシシィによく似たルドルフであったなら、ずんちゃんのルドルフはちょうど中間だったように思うのです。ただ、この時の少年時代のルドルフが本当に少女時代のシシィとよく似ていて、だからずんちゃんのルドルフがシシィにとってどういう鏡だったのかなと思うと、「もしかしたらなっていたかもしれない自分」を映し出したんじゃないかと。ずんちゃんのルドルフはフランツを支え、彼の力になって国の力となりたかったのだと思うのですが、みりおんのシシィも、そんな生き方を一度は夢見たんじゃないかと思ったのです。でもなれなかった。私が、生きるためには選べなかった。どうして、ルドルフあなたはよりによってその夢を見たの?それをなぜ今私に見せるの?私、疲れているのよ。

 手を、離したくなる気持ちが分かるからこそ、霊廟の場面が辛くて仕方なかったです。誰が悪かったの?と思うし、どうにかなったのではないか、というかりそめの希望を抱いてしまうし、どうにもならなかったんだ、という絶望が舞台から響いてる。どうしてあの時だったの。あの時、私は疲れていて、だから向き合えなかったの。自分の弱さに。彼の罪に。失った時間に。潰えた夢に。あの時じゃなければ、私、いくらでもあなたの話を聞いたのに!シシィの嘆きが、後悔が、苦しい。

 みりおんのシシィは襲ってくる運命に無力ではあるけれども、いつだって自分で選んで生きてきたんだよなぁって強さもあって、とても好きです。誰かのせいじゃなくて、だから苦しくて、精一杯生きたことが、美しい。

 

 締めに入りかけましたが、私、エルマーとシュテファンのこと言ってないわ!!言わなくちゃ!!どの方もとっても素敵でした!

 全部見て、一番革命が成功しそうなのはAパターンかな…と思いました。りくくんのエルマーが熱く民衆を引っ張って行って、ずんちゃんのシュテファンが冷静にまとめて。そのバランスが一番よかったなと。Bのずんちゃんのエルマーも熱くてとっても良かったのですけど、あいつ、暴走するだろな…と思わずにいられなくて…(ひどい)。Cパターンは典雅過ぎて、たぶん、革命、無理かなって…(ひどい)。

 エルマーもお三方それぞれ違っていて面白かったのですが、あっきーさんとりくくんの恨みというか憤りはエリザベートへ向かっている感じだったのですが、ずんちゃんのエルマーは徐々に「あんな女に騙されている民衆」への怒りを感じたのです。それが年を経て頑迷さとなり、思いこんだ狭い一本道が、りくくんルドルフの破滅になったのかなぁと。

 そんなことを考えていたので、シュテファンの時のずんちゃんは温かみのある人物像が舞台上にあって、観ていてなんだかホッとしました…エリザ怖いな…でもそれくらいのめりこめる演目ってことで、やっぱりもっと観たい…!あ、でも群舞のときはずんちゃんAパターンが一番暴力的でしたよね?そんなことない??あの乱れた前髪を払うのちょっと勘弁してくれません?ってなりません??口半開きとかホンッ……ああ!!!!!(つっぷした)

 

 ともあれ、この夏は宙組エリザベートにどっぷり浸かって大変楽しい夏でした。舞台に圧倒される喜びをしみじみと感じました。今回、一番好きだったシーンって実は昇天の場面かもしれません。あの時、みりおんのシシィがおびえたような顔を一瞬するのがよいなぁと。彼女は冒険の旅に出る、その時に期待だけ抱けるような少女ではもうないのだなぁと示しているようで。それを朝夏さんトート閣下が生も死も超えた凪のような穏やかな目で受け止め、広い世界を指し示す。

 その時、シシィの目が輝いていくのがとても好きなんです。広い世界は彼女を傷つけもしたけれど、それでも、煌めくものもあったんじゃないかと。それは舞台のこちら側、私たちの一人一人の人生が、あの人の目を輝かせているんじゃないかなと、なんだかそう思えて。

 

 そうだったらいいなぁと、祈ってる。祈らせてくれるエリザベートでした。そんなシシィを見せてくれた実咲さんが退団発表をされまして、とてもさみしいです…。とにかくこの素敵な舞台を、今見れる喜びを、噛みしめて東京をお待ちしております。

 

 見れますように!!!!(切実)